當麻寺はもともと弥勒仏さまの寺として創建されたのですが、いつからか當麻曼荼羅の寺として親しまれています。この當麻曼荼羅は奈良時代に成立したもので、その謂われとして藤原家の郎女・中将姫(ちゅうじょうひめ)さまの尊い物語が伝わっています。
中将姫さまは、天平19年(747)藤原豊成の娘として奈良の都にお生まれになりました。観音さまに祈願して授かった子で、姫さま自身も観音さまを篤く信仰されました。4才の時には突然目の前に現れた白狐から『称讃浄土経』を授かったといい、幼少の頃からこの経典を諳んじていたといわれています。
当時の當麻寺は男僧の修行道場であり、女人禁制でした。入山が許されなかった姫さまは、門前にある石の上で一心に読経を続けられます。数日後、不思議にもその石には読経の功徳で姫さまの足跡が刻まれました。その奇跡に心を打たれた当時の當麻寺別当(住職)実雅和尚は、女人禁制を解いて姫さまを迎え入れたのでした。この時の霊石は「中将姫誓いの石」として、現在、中将姫剃髪堂の横に移されています。
その想いにみほとけがお応えになります。翌17日、一人の老尼が現れ「蓮の茎を集めよ」とお告げになりました。その言葉にしたがい、父・豊成公の協力を得て大和のほか河内や近江からも蓮の茎を取り寄せたところ、数日で百駄ほどの蓮茎が集まりました。そして、再び現れた老尼とともに、蓮茎より糸を取り出し、その糸を井戸で清めると、不思議にも五色に染め上がったといいます。