中将姫さまの願いによって織り表された當麻曼荼羅は千手堂に祀られ、次第に多くの人々に知られるようになっていきます。その信仰の広まりとともに、千手堂は解体され拡張され、現在の大きな曼荼羅堂となり、當麻曼荼羅はいつからか當麻寺のご本尊として拝まれるようにまでなっていきました。
平安時代のはじめ。嵯峨天皇さまがある時、お大師さま(弘法大師・空海)に當麻曼荼羅の印義をお尋ねになりました。それを受けて弘仁十四年(824)秋、お大師さまが當麻寺をお訪ねになります。お大師さまは二十一日間曼荼羅堂にお籠もりになり、當麻曼荼羅の前で瞑想されました。この時、お大師さまは中将姫さまの想いを観じとられたのです。
お大師さまは、當麻曼荼羅から感得した「マンダラ(maṇḍala)の教え」を、中院(現・中之坊)院主・実弁和尚にお授けになりました。この時より當麻寺は中之坊を中心として真言宗の寺院となっていきます。
お大師さまが参籠された曼荼羅堂には「参籠の間」がのこっており、お弟子の真雅僧正さまと智泉法師さまとともにお大師さまの肖像画が張壁で描かれています。
この部屋では「いろは歌」をお作りになったという伝承も残っており、また、當麻寺の境内右奥手には「大師堂」が創建され、當麻寺において大師信仰が盛んであったことを物語っています。