06.法話「心身への施薬」

  • 以下の文章は、當麻寺中之坊松村實秀長老が『大阪府医師会報』Vol.293に寄稿された文章です。医師の先生方に向けての文章でしたが、あえてそのまま掲載いたします。ご一読ください。
  • 大和の伝統薬「陀羅尼助」  私が住職をさせていただいております当麻寺の中之坊には、古くから「陀羅尼助」という薬が伝えられております。ご存じの通り、黄檗を主原料とする和漢薬で、当山にはそれを精製するための大釜や、それに用いる水を汲むための井戸などが伝わっています。
     扠てここで私が、この陀羅尼助について、成分や胃腸薬としての効能について述べたならば、おそらく「釈迦に説法」とお叱りを受けることでしょう。ですから私は、僧侶としてこの薬について感じるところを、感じるままに述べてみたいと思います。
  • 行者の知恵と経験の薬  そもそも陀羅尼助は、千三百余年の昔、大和の修験者である役行者によって創製されたといわれています。役行者は、密教を基本とする山岳修行を重ねた行者であるということです。密教は、仏の教えを、単に宗教という分野に限定せず、科学、医学、天文学や、文学、芸術などあらゆる分野に至るまで、すべての垣根を取り払って生かしていこうとする壮大な思想です。現に役行者や弘法大師は、優れた宗教家であると同時に、自然全般に深く精通し、非常に幅広い知識を持った人物でしたし、中国密教の高僧一行などは、当代一の天文学者としても知られていました。
     厳しい自然の中での修行は、常に怪我や疾病などの危険と隣り合わせです。どのような草木をどのように利用すればそれに対処できるかという知識は、行者たちにとって不可欠だったに違いありません。陀羅尼助は、自然と向かい合う彼ら行者達の、深い経験と知恵によって生み出された尊い財産といえます。
  • み仏の加持力の薬  この「陀羅尼助」という奇妙な名称の由来については諸説ありますが、当山では、その製法に因んでつけられたとされています。まず「陀羅尼」とは僧侶が仏さまにお唱えする供養の言葉「真言」のことです。最も古式な製法を受け継いできた中之坊では、薬草を煮詰める際に、仏さまに陀羅尼をお唱えするのです。これが名前の由来であり、またこの陀羅尼の読誦こそが陀羅尼助の効き目を高めるというわけです。
     おそらく馬鹿げた事だとお思いの先生方も多いことでしょう。ご尤もなことですが、本当に効果のないことなのでしょうか。陀羅尼で効き目が高まるということはないのでしょうか。  嵯峨天皇に信頼の篤かった弘法大師は、陛下ご病気の際に、何度も祈祷を行っております。そして祈祷が終わると、ご病気に応じた薬を与えて陛下を治療されたそうです。超人的な大師の力のみを信仰する人は、病気の平癒は大師の祈祷の力によるものだと思われるでしょうし、目に見えるものしか信用しない人は、薬のおかげだとおっしゃるでしょう。
    実際はどうであったのか、私には知る由はありませんが、祈祷と投薬、両者の効果が相まって健康を回復させたのだと確信しております。薬が身体に、祈祷が心に働きかけたのです。
  • 心身の健康を願って  テレビドラマなどでも、手術後の先生が「後は患者の精神力次第」などといわれるシーンがあります。医学に素人な私はこれをそのまま鵜呑みにしてしまうわけですが、病気の治癒に「治そう、治ろう」或いは「治るはず」という前向き気持ちが必要なのは事実ではないでしょうか。「どうせ治らない」という諦めや、「本当に治るだろうか」という不安な気持ちは、きっと健康の回復の妨げになると思います。「病は気から」と申しますが、気からの病ならば気から治さなければ、その病を根本から治すことなど出来ないでしょう。
     密教の祈祷や陀羅尼助に込められた陀羅尼は、病気平癒に対する信念を促すものです。この信念が強いほど、健康回復に対する大きな力になるはずです。私たちは、肉体だけの存在でもなければ、心だけの存在でもありません。弘法大師の「心境冥会」という言葉の示す通り、心と環境(自分の身体もふくめて)は互いに作用し合っています。この両方へのケアを怠って本当の健康は得られないでしょう。
     ここ最近、医療に対する人々の不信感が高まりつつある様です。まず、身近なところから心の不安を取り除いてやるのが、本当の医療の第一歩ではないでしょうか。